ウルグアイ

【ウルグアイ冒険記】代表 KJの旅物語

これは代表KJのウルグアイでの冒険について綴った記事です。

1記事に全てまとめたので長文になりますが、どうぞストーリーを楽しみながら読んでみてください。

【ウルグアイを目指すことになった理由】

2014年も暮れようとしていた頃、僕の毎日は次の年に控えたカナダ渡航へ向け忙しいものだった。

友達や知人に別れを言いつつ、カナダに向けてのパッキング。

そしてカナダでこれから始まるカレッジに向けての英語勉強。

そんな慌ただしい日々の中たまたま開いたFacebookで彼を見つけた。

ウルグアイ元大統領のムヒカ。

日本だけでなく世界でも話題になった彼のリオ会議でのスピーチ、それをFacebookを通して観た当時の僕は10分間の彼のスピーチの動画に見入った。

その10分間しかなかったは僕に衝撃を与えた。

彼のスピーチにというよりも、彼の人様に、の方が正しいだろう。

もちろん世界中のそれを観て感激をした人と同じように彼が世界中に向けて発した言葉に僕も感動したのは間違いない。

ただそれよりも、僕が一瞬で彼に惹かれたのは、彼のあの舞台での態度だった。

ネクタイなしの彼は、感情的になるわけでも無く、表情を変えるわけでもでも無く、静かに、ゆっくりとスピーチを始めた。

ただその彼の静かな声には堂々たる意思があり、そして彼の茂った眉の奥に潜む目には彼の生き様が写っていた。

彼を画面越しにしか観ていない僕だったが、僕は彼に惹かれ、彼のことを尊敬した。

その時の動画ではリオ会議のスピーチしか写っておらず、その後グーグルで検索するまで彼が世界一貧しい大統領だと呼ばれていることも、彼について何も知らなかったが、僕は動画を観終わったあとで絶対に彼に会いたい、いや、会わなくてはならないと直感した。

すぐにでもウルグアイに飛んで彼に会いに行きたかったが、カナダへの渡航が間近に迫っていた僕は、押し寄せる高揚感を抑えつつ、目の前のやるべきことに専念しながらもウルグアイへの渡航を密かに計画し始めたのだった。

2015年、時はようやく訪れた。

当時カナダで通っていたカレッジでプログラムの間に長期休みがもらえ、ここしかチャンスがないとウルグアイ渡航へ踏み切った。

チャンスがそこしかなかったというよりも、9ヶ月間抑えてきた高揚感をそれ以上抑えることができなかったのだ。

これを友達、家族に伝えると皆首をかしげつつ、そもそも元大統領である彼と合えるものかと口を揃えて言った。

もちろん僕に大統領とあるためのコネがあったわけでもないし、彼がどこに住むかも知るわけがなかった。

そこに不安を感じなかったというとそれは嘘になる。

いくら当時住んでいたカナダからウルグアイに行けば日本より交通費は安くなるといえ、安くはない金額だった。

それに南アメリカなど行ったこともないし、スペイン語なんて一言も話せなかった。

もしウルグアイに行ったとしても彼に会えなければ全てが無駄になる。

母親には何度も止められた。

ただ、僕の中でその不安よりも高揚感のほうが勝り、あとは向こうに行って彼に会えるということを信じるしかなかった。

僕は、もし画面越しに見た彼の言っていることが本当であれば、絶対彼は僕に会ってくれる、そう自分に言い聞かせていた。

そして同じ年の10月、僕のお気に入りのバックパックに荷物を詰めバンクーバーからモンテビデオへと向かった。

 

【ムヒカを求めていざウルグアイへ!】

モンテビデオに到着してすぐに感じたのは、首都であるモンテビデオの国際空港、ウルグアイで1番大きな空港にしては疎開感があったこと。

空港の中にあるのは小さなギフトショップ、いくつかのレンタルカーショップ、そしてマクドナルドのみ。

特にコンビニのような店があるわけではなく、フライトで空ききった腹を満たす場所はマクドナルドしかなかった。

そして英語表記もほとんどなく、まして空港の外でバスを探そうとするのだが、どのバスに乗ったらどこに行けるのかという表式がない。

降りたらグーグルマップを使って予約している宿までたどり着けるだろうと安易に考えていたのだが、なんとウルグアイではグーグルマップでバスの乗換えなどが出てこない。

とりあえず数人が並ぶバス停で、次々とくる違う番号が振られたバスの運転手に「モンテビデオ」と聞き、3台目に来たバスで「Si」(イエス)が返ってきたのでとりあえずそれに乗ることに。

周りの乗客が聞き慣れないスペイン語を話す中、窓の外を見回すと、国際空港の周りでもまだ鋪装されていない道路、トタン屋根の簡素な住宅、荒れ地の多さに目が止まった。

バスに揺られること30分、ようやく舗装されたエリアに入った。

見たことはないがショッピングセンターであろうものや、飲食店などが多く見えてきてここが中心地に間違いないと思った。

そこからどこで降りればいいのだろうと考えていると裏路地に入ってしまった。

これ以上行くとまた舗装されていないエリアに入りかけたのでそこで降りることに。

裏路地で降りてそこから舗装された大通りに出ると薄暗い裏道とは一点、そこは都市部で観る光景、活気ある人混みが目に入ってきた。

その光景に安堵しつつ、とりあえず空港で降りてからオフラインのグーグルは頼りにならないので道ゆく人に宿の住所を見せて道案内を乞う。

すると幸運なことに宿はすぐ近くにあった。

宿に入るなり、威勢の良い大男がスペイン語で話しかけてくる。

全く言っていることがわからないでいる僕を察した大男は拙い英語で話し始めてくれた。

一応彼が多少の英語を理解してくれたおかげでチェックインはでき、8人部屋のドミトリーに案内される。

バンクーバーを出発してから20時間ほど、初めて来る土地、初めて耳にする言語、初めて触れる人々の活気、フライトの寝心地の悪さで疲れ切った僕は、ベッドに着くなりスタッフのまだ喋りたらなそうな大男の人に、もう疲れたから寝ると伝え、そこから15時間、空腹もトイレも忘れ眠りから覚めることはなかった。

 

【ウルグアイ2日目】

あくる朝、15時間睡眠を得て少し疲れが取れた僕は1回のフロンへと降り朝食を取る。

ここからムヒカに会うために僕が用意していたプランとは、人に聞いて回ることだった。

とても原始的といえば原始的。

ただ1つ大きな手がかりだったのが、彼は大統領であった期間も、大統領から退いた後も、大統領邸に住むことを拒み、自分の家に住み続けたということ。

もし彼がずっと同じところに住み続け、今もそこにいるのであれば、現地の人で知っている人がいるかも知れない。

人に来て回って彼の住所を導き、そして直接訪問する。

これが僕の唯一のプランだった。

こんな原始的なプランで彼を探していたら、長い時間がかかっても仕方ないと、3週間という猶予をもってきた。

しかし3週間でも足りるかは全く分からない状況の中、悠長に観光などする時間はないと、朝食が終わるなりまずはフロントの大男から情報収取を始めることに。

グーグルの翻訳機能を使い彼にムヒカの住んでいる場所を知っているかダメ元で聞く。

すると、彼は行ったことはないがだいたいの場所を知っているという!

いきなりのヒットに驚きながらも彼にそこまでの行き方を紙に書いてもらうと、バスを2回乗り換えて約2時間ほど離れたところに彼の住む村があるという。

村は小さく、家の前に学校があるからそれを目指して行けば分かると教えてもらい、急いでシャワーを浴び身支度を整えウルグアイに到着してから次の日の午後に彼の元へと向かった。

ウルグアイのバスはとてもややこしい。

スペイン語の、ましてや土地勘のないウルグアイに来たばかりの僕がバスの行き先なんて全く読めるわけはなく、バス停も特に表記などがあるわけでもない。

皆どのバスに乗ればいいかは人に聞いているという感じだ。

スペイン語が全く話せない僕は、宿の大男に書いてもらった地図が全てだった。

それを大事に握りしめ、とにかくバスを乗り換えていく。

都心から15分ほど行くと、そこからは畑と荒れ地、時たまこじんまりとした良くわからない店が見えるだけ、ウルグアイに来てまだ2日目、街の中心部ですらまだ一切観光していない僕は本当に正しいルートで進んでいるのかなんて全くわからなかった。

とにかく、彼が書いてくれた地図を片手に進んでいった。

1つ目のバスの乗換えはなんとかでき、次のバスに乗り継ぐ。

いくつかの小さな町を超え、2つ目のバスの乗換えで降りた場所は、もはや見渡す限りほぼ荒れ地の一帯であった。

2つ目のバス停で不安ながらに教えられた番号のバスを待つこと20分、ようやくその番号のバスが来た。

後はこのバスがムヒカの家のすぐ近くまで運んでくれると大男に教えてもらったので、興奮と不安を抑えつつバスの窓の外とグーグルマップを交互にチェックしながらバスに揺られる。

バスに揺られること20分、グーグルマップで彼の住む大体のロケーションを保存しておいたのだが一向にそこの近くに向かっていない。

ただ途中で降りたところで次にどのバスに乗ったら良いかなんて想像も付かなかったのでひたすら辛抱。

するとついに終点についてしまい、乗客は僕一人。

運転手の人に降りてくれと言われる。

渋々降りるとそこは小さなビーチがあり、近くの村のこどもが何人か遊んでいるようだった。

ここで他のバスに乗ったほうが良いのか考えつつグーグルマップを見ると、良くわからないバスに乗ってもっと遠くに飛ばされるよりも歩いた方が確実だろうと決断。

10月のウルグアイは春。

しかしその日のウルグアイは、特に荒れ地を歩く炎天下の下は、まさに夏だった。

これが南アメリカの暑さなのかと思いつつ歩きはじめるが、往く人や、トタン屋根の窓から顔を出す人たちの視線が気になる。

なんと言ったってこんなモンテビデオの田舎を歩くアジア人なんて絶対に見たことがないだろうから当たり前だ。

このままではいつか誰かに襲われても仕方ないと思い始め、更に日差しの暑さにも耐え難く、思いついた策がシャツを脱ぎ上裸で歩くこと。

そうすれば現地人の男たちにもう少し馴染めるだろうと考えた。

(補足:このなぜ僕が上裸で歩くことになったかについての理由は必ず知っておいてほしい。なぜかについてはこの最後にある僕とムヒカのツーショット写真を見るとかならず疑問を覚える人がいるからだ。)

上裸になりサングラスをし、堂々と歩き始めると周りの視線も気にならなくなった。

だが途中野良犬に追いかけられる。

こっちが走って逃げてしまうと、不安を感知した犬は襲ってくると思っていたので、そこは堂々と胸を張りながら背後にひたすら吠えてくる犬を連れてひたすら歩いた。

 

 

【ムヒカとの出会い】

汗だくになりながら歩くこと30分、ようやく学校らしき建物と小さな畑が目に映る。

そこを通るとムヒカ象徴である青色の車が見えた。

新たな野良犬が横から吠えてくるのを無視しつつ進むと1人の男が立っていた。

彼に近寄って「ムヒカ?」と聞くが返ってくる返事がスペイン語でわからない。

すぐに携帯のグーグル翻訳でコミュニケーションを図ると、ムヒカは今インタビューがちょうど終わったところだから彼に会わせてくれるとのこと。

その男はムヒカのボディーガードだった。

彼に案内され木で茂った入り口の敷地を入るとムヒカの小さな家があった。

その前には2つの簡素な椅子が並べられていてそこに彼は座っていた。

取材員であろう男の人がカメラを片手に僕のことを怪しげに横目で見ながらその場を退いていった。

そんなことはお構いなしに、彼に会えたという興奮の中、言いたいことは山程あったのだがスペイン語では何も言えず、とりあえず日本から来たとだけ片言のスペイン語で彼に伝えた。

すると彼は暖かく僕を迎えてくれハグをしてくれた。

ボディーガードの人が僕の携帯で写真を取ってくれ、次の取材の人がくるからと数分だけ僕に時間をくれた。

その短い時間の中、彼のことをどれだけ尊敬していたかということをスペイン語で英語から翻訳して綴った手紙を彼に渡し、片言で少し話しをした。

彼は僕のグーグル翻訳で読み上げる片言のスペイン語を嫌がる素振りも無く優しく聞いてくれてた。

次の取材の人が来てしまったので、ありがとうと何度も何度も言いながらその場を後にした。

ムヒカも「来てくれてありがとう。幸運を祈る。」と手を振って僕のことを見送ってくれた。

ムヒカに会った感想として、彼は何も着飾ること無く、普通のその辺にいるお年寄りと変わらなかった。

ただ、彼の茂った眉の奥にある瞳には他の人にはない力強さを感じた。

とても残念だったのは、僕のスペイン語の能力が皆無で、ほとんど会話にならなかったこと。

いずれもう1度彼を訪れ、その時は彼とスペイン語でもっといろいろな話をすると心に決め、その後僕のスペイン語修行の旅が始まる。

(コロンビア冒険記へ続く)

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