ペルー

【ペルー冒険記】代表 KJの旅物語

コロンビア冒険記に引き続き。

【コロンビア冒険記】代表 KJの旅物語 (後編)

 

【ペルーのクスコに訪れた理由】

コロンビアでのボランティアが始まる以前、同じタイミングで応募していたプログラムがあった。

それがペルーの南部クスコから一時間ほど車で離れた場所にあるピサック村で、住み込みのベビシッターという案件だった。

カナダで幼児教育を専攻していた僕は、勉強の合間にベビシッターの仕事もしておりプログラムの内容としては完璧だった。

ちょうど雇い主の希望する期間がコロンビアの滞在のすぐ後だったということもあり、さらなるスペイン語のレベルアップに向けて次の行き先をペルーとした。

 

【ペルーへの出発と懸念】

ペルーと聞いて有名な観光地は何と言ってもマチュピチュ。

僕も昔からマチュピチュには一度行ってみたいと思っていたのでペルーという国がどんなところなのか楽しみであった。

ただ好奇心とは裏腹に1つ大きな問題が浮き上がった。

それはクスコの標高の高さ。

ペルーも場所にも寄るのだが南部のクスコ、マチュピチュのエリアは特に標高が高いということをコロンビアからペルーへ出発する1週間前に知ることとなる。

色々な人のブログなどを見てリサーチするのだが、どうも症状などは人によりけりで、今まで一度も標高など気にしたことのない僕としては、実際に行ってみるしか手がなかった。

何事もチャレンジして行ってみるというのが僕のスタイルなのだが、かなり重症になると寝込んだり、帰りに飛行機に乗ることすらままならないなどの体験記をブログで見てから、クスコ行きの飛行機に乗り込んだ時は冷や汗が出てきた。

 

【クスコに到着】

いざクスコに降りてみると、特に瞬間的に何か体調の不具合は感じられない。

だが念の為に、まず僕が向かった場所は空港の薬局。

そこで高山病の薬と水を買ってすぐに薬を飲んだ。

その後タクシーで中心地へと向かう。

中心地のクスコで降りると、そこは同じ南アメリカでもコロンビアとは全く違うことに驚いた。

町並みはさすが古代遺跡のマチュピチュが有名な国だけあってレンガ造りの家が目にとまる。

コンクリートづくりのものはほとんど見かけない。

あと1番驚いたことは、観光客の多さだった。

至るところに外国人が歩いている。

4ヶ月間コロンビアの地方で隔離され、町の中にアジア人が僕一人というマイノリティーの中で生き伸びてきた僕には、耳に入ってくる外国人の英語の会話と見かけるアジア人の観光客に安堵を覚えた。

初めて見る古代遺跡の中にあるような町は当然僕の好奇心をそそったのだが、雇い主との合う約束が到着の日の午後2時となっていて、それもクスコから離れた村と移動時間も考慮しなくてはならなかった。

観光は後回しにまずは近くのストアでSIMカードを手に入れインターネットのアクセスを手に入れる。

その後、グーグルで目的地への行き方を調べ、スマフォを片手にその足でバス乗り場へと直行した。

 

【ピサック村へ】

雇い主の住む場所は、バスで1時間ほど離れたピサック村という場所だった。

クスコに上陸してから約2時間が経過したが、特に高山病のような症状はなく無事にバスに乗ることができた。

ただ、ここで僕にとって最大の難関が訪れる。

僕は今まで何度となくフライトを乗り継ぎ世界を旅し、好奇心にそそられれば世界の反対側にでも冒険を求めて飛び立つような性格だ。

世界のどこの国でも生きていける自信があることでも有名だ。

だが冒険心と自信ではどうにでもならないことが世の中にはある。

それは車酔いだ。

その日クスコから出発するバスは、ローカルの人がほとんどで満席だった。

擦り切れた座席のシートと砂埃にまびれたバス、そして密着した空間。

乗り心地はかなり良くない。

それに加えてピサック村までの道のりは山を超えるので、直線は少なく、ひたすらカーブの連続する曲線であった。

電車や車で携帯を5分以上いじっていると車酔いするような僕には耐え難いものだった。

出発から30分ほど経過した時にはバッグからビニール袋を取り出す。

そこからひたすら酔との戦い。

バスの中から見渡す美しい景色を楽しむ余裕など微塵もなかった。

どうにかこうにかビニール袋をきれいに保ったままピサック村に到着するが、バスが停車するなり1番先に降車し、ピサック村の道端で嘔吐。

これが神秘のピサック村への挨拶となった。

その後目眩のする頭を抱えながらふらつく足で指定された集合場所へと向かった。

【ピサック村でいきなりのハプニング】

雇い主の女性の方は明確に村の指定場所を指定してきた。

2時にピサック村の少し外れのところに迎えに来るとのこと。

バスの停車場所は村の南東で、そこから北西の町の外れまで15分は歩いただろうか。

ようやく待ち合わせ場所に着くと時間は1時45分。

どんな人が今回の僕の雇い主になるのだろうという期待よりも、まずは吐き気と目眩の方が強く立っていられない。

道の端で腰を下ろし、記念に写真を1枚取る。

そこからもはや座っているのではなく、バックパックを枕にして半分寝そべった姿勢で空を仰ぐ。

とにかく頭がグラグラする。

もし僕が鳥になったら空酔いで死んでしまうだろうと鳥を見ては思う。

これが高山病なのか、ただの車酔いなのか、それともどっちともなのか全くわからない。

とにかく気持ち悪くその後3度嘔吐する。

振り返るとクスコの空港についてからとにかく時間通りに約束の場所に着くことに精一杯で何も食べていなかったことに気づく。

体調の悪さと胃袋の悲鳴に耐えながら携帯をチェックすると2時を過ぎていた。

そこから雇い主に連絡を入れるのだが応答がない。

つい2日前に時間と場所の確認のため連絡をお互いに交わしたので、ここに来て連絡が付かないのは少々気味が悪い。

もしかしたら向こうは何か仕事で遅れているのだろうと自分に言い聞かせ、そこからさらに待つこと1時間。

10分ごとに連絡を入れたが何もなし。

そして時刻は3時半となった。

このままでは日が暮れてしまう、と思った時、「まさか僕ははめられたのか?」という思考に至った。

このシチュエーションは誰が見ても危ないだろう?

初めて降り立った地で大きなバックパックを背負い、待ち合わせ場所は村の外れ。

これまで取れていた連絡が当日になって途切れる。

今襲われたら僕に勝ち目がないのは至極当然だ。

「これはまずい!」と思いまだ目眩のする重い頭を抱えながら早足で村の中心地まで降下する。

歩く間誰かに付けられていないか背後を警戒。

町の中心地に着くと観光客が多くいて人で溢れていたのでここだった大丈夫だろうと少し安堵するが、雇い主に宿も提供してもらう予定だったので泊まるところがない。

日が暮れかかっていたのでグーグルマップで調べて1番近くのホステルに直接訪れると、観光シーズンではないため4人用ドミトリーを1人で使っていいとのこと。

部屋に入るなり鍵付きの個室に安堵を覚え、腹の減りも忘れてベッド上に気絶するように寝た。

リマの空港でレイオーバーがあったので、コロンビアを出発してから丸一日が経とうとしていた。

これまでの4ヶ月プライベートの空間がなかったので、一人部屋で自由に寝れるというのは何よりも至福であった。

 

【ピサック村2日目】

次の日の早朝、空腹で目覚める。

昨日の体調の悪さはやはり車酔いのせいだったのか、高山病の様子はない。

まずは1日半ぶりのシャワーに入ると、これまた新たな至福が訪れた。

何と温水が出てくるではないか!

コロンビアでは滞在場所が田舎すぎて温水などなく、毎日冷水でシャワーを浴びていた。

鍵付きの一人部屋に温水の出るシャワー。

昨日の悪夢のような車酔いとハプニングなど忘れられるかのような幸福感に包まれた。

シャワーが終わると外に出てまずは食べ物を探すことに。

ここに来るまでピサック村は、またコロンビアの村みたいに田舎なのかと勝手に想像していたのだが、観光名所の1つとして有名で至るところに外国人がいるし、レストランなどもたくさんあった。

ただメニューを見ると外国人向けのレストランはかなり高く付き、少し裏道に入ったところに小さなサンドイッチ屋を見つけたのでそこで食事を済ませることに。

(そこのサンドイッチは格別美味しいと言うわけではなかったが、家族で店を経営していて、店主が優しく、ちょくちょく小学生ぐらいの娘が顔を出し手伝いをしたりとアットホームな空間が好きになり、それから2週間ピサック村に滞在している間毎日そこで食事をした。)

食事を済ませた後、町を探索し始めるのだがこれが標高の高いせいか足が重く感じる。

それに加え凸凹とした道がどうも足にこたえる。

3時間ほど町の中心を観光した後は、まだ疲れの残った体を休めるためにホステルに戻ってゆっくりしつつ、これからのプランを考えることに。

 

【ピサック村3日目】

とにかく雇い主と連絡が取れない。

ペルーに来た目的は観光ではなく新たな住み込みボランティアでスペイン語を鍛えることだったので、他に当ては無く困った。

とにかく何か自分の為になることをしようと考え、自分は幼児教育を専攻していて他の国の教育を学ぶこともこの度の目的の1つだった。

そこで近くに手伝いをさせてくれる幼稚園などはないだろうかと思いホステルのスタッフに尋ねてみると、村から少し離れたところにこの辺では有名な英語で教える幼稚園があるという。

コミュニティーが小さいのか、そのスタッフの友達がそこの園長の連絡先を知っていて見学のアポを取るため連絡すると、いつでも好きな時に来ていいと快く返事が返ってきた。

そこの幼稚園は午前中のみやっているらしいので、改めて次の日に見学に行ってみることに。

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【ピサック村4日目】

朝食を終え昨日アポを取った幼稚園へと向かう。

ホステルのスタッフにはタクシーで行ったほうが良いと進められるのだが、グーグルマップで見ると徒歩45分ぐらいだったので景色を楽しむためにも歩いて向かうことに。

詳しくはわからないが、標高が高いところから見る景色は絶景だ。

ピサック村は山で囲まれており、そこから見る山と自然の景色は、天気が良いと空気が透き通って見えてどこを見回しても素晴らしい。

景色を堪能しながら歩くこと45分、グーグルマップの示すところに着くのだが幼稚園らしきものが見当たらない。

周りの住居に聞くと、幼稚園はもう少し先だという。

そこから15分ほど歩きついにそれっぽい建物を見つけて門をたたく。

 

【カトリーナとの出会い】

幼稚園のドアを叩くと先生らしき人が快く出迎えてくれた。

僕の来訪を知っていたらしい。

部屋に入るとそこは5歳以下のクラスで小さな子どもたちが10人ぐらいランチを食べているところだった。

3人いる先生のどれが園長のカトリーナなのかと思っていると、彼女は2階の教室にいると教えてもらう。

2階に上がると、そこには小さな部屋があり5歳以上のクラスがあった。

子供の数は5人ほど。

部屋に入るなり改めてカトリーナが快く迎えてくれた。

【カトリーナ】

カトリーナは落ち着いていてとても優しい人だった。

彼女はきれいなネイティブの英語を話すので、聞くところによると、彼女はペルー人ではなくチリの出身で、家では英語で教育をされたため英語とスペイン語を話すバイリンガル。

彼女には高校生の子供が二人いて、家族は皆チリに住んでいるという。

そんな彼女がなぜ、ペルーの山奥で幼稚園を経営しているのかとても気になるところ。

まず彼女がペルーの地を初めて訪れたのは、17年ほど前。

当時の彼氏が研究の一環で訪れた時に一緒についてきた。

その時初めて見るペルーの美しさに魅了されたという。

ただそのペルーの美しさに惹かれたのが幼稚園を建てようと思ったきっかけではなかった。

最初のペルー渡航後から2年後、また彼氏と一緒にペルーを訪れる機会があり、研究の一環でピサック村を訪れたという。

その時ピサック村の周りを回る中で、この現在学校が立っているこの地に運命を感じた。

運命というと曖昧に聞こえるが、ピサック村の周りはパワースポットとしても有名。

確かに学校の外に出ると、目の前にそびえる山とその周りの景色は、それは言葉では表しきれない美しい以上の何かを僕も感じた。

この景色を一生眺めていたい、というような。

カトリーナがそれを感じた時、彼女はここに学校を建てて子供を教育するのが彼女の運命だと感じたのだ。

その後一度チリに帰り子供たちが高校生になったのと同時に、家族を置いてピサック村へと移住してきて、3年ほど前にこの学校を建てたという。

そんな彼女の話を聞いて、もちろん彼女の行動力にも関心だが、彼女にそこまで魅了させたこの地の神秘に興味をもった。

 

【新たなハプニング】

カトリーナと30分ほど話をし、彼女の今まで聞いたことのない独自の教育法を僕も学んでみたいと思い彼女にお願いすると、好きなだけ手伝いをしに来て良いとのこと。

まだ聞きたいことはたくさんあったのだが、そろそろピックアップの時間ということで園庭で遊びながら親待つため子どもたちと外に出る。

徐々に子どもたちの親が迎えに来る中、1人の女性がアクセントの強い英語で話しかけてきた。

向こうは僕を知っている感じだったが僕は見に覚えがないので名前を聞くと、彼女は僕の予定していた雇い主だった!

いや彼女の顔はFacebookで見て知っていたつもりなのだが、写真とは違いすぎて全くわからなかったのである。

彼女の英語の癖は強いし、ちょくちょく文法もバラバラなので聞き取るのにとても苦労したのだが、とにかく彼女はなぜ僕が約束どおりに現れなかったのかと一方的に聞いてくる。

僕はちゃんと待ち合わせ場所に行ったし、連絡も何度もしたと伝えるのだが、彼女の答えは矛盾していて全く辻褄が合わない。

「4時まで用事があって外出していた」と言い始めるのに、「一日中家にいた」というし、それなのに「なぜ待ち合わせ場所に来なかったの?」と聞かれ、僕は「1時間半も待っていたのにあなたが来なかったのでしょ?」と言い返すと、「そうよ、私は家で子供を見ていたのよ」と言い返してくる。

この人はちょっと変わっていると思い、とりあえず答えの出ない会話を僕から終わらせようとする。

すると彼女は「今から家に来て子供を見てくれる?」と聞いてくるのだが、僕は「今回はここでボランティアすることになったからやめておくよ。」と丁寧に断る。

「また気が変わったらいつでも連絡してね。」と言って彼女は子供を連れて去っていった。

カトリーナが僕に「知り合いなの?」と聞いてくるので今までの経緯を話したところ、やはり彼女はかなり変わっているという。

彼女は50歳を過ぎているのだが、当時1歳と4歳、現在は3歳と6歳の子供を連れて2年前にフランスから子供と3人で移住してきて、今は教会から借りた1室で暮らしているという。

疑問を持つ点は多々あるのだが、カトリーナからのアドバイスは彼女とはあまり関わらない方がいいということ。

特に彼女の住む教会で住み込みなんて絶対やめたほうがいいとアドバイスを貰う。

その後子供が皆帰ったあと、カトリーナは学校のすぐ近くに建てた自分の住居へと帰り、僕はまた1時間かけてホステルへと戻った。

帰り途中、今までのハプニングを思い返し、もし約束の場所に彼女が訪れていたら一体どうなっていただろうかなと考えると身震いがした。

 

【次回】

それから1週間ほどカトリーナのところで手伝いをしながら彼女の教育学について学ぶことに。

それについては別の記事で詳しく。

 

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