コロンビア

【コロンビア冒険記】代表 KJの旅物語 (後編)

コロンビア冒険記(前半)に引き継き後編。

【コロンビア冒険記】代表 Kaitoの旅物語(前編)

 

コロンビア2日目、ピタルという町を知る

コロンビア2日目、次から次へと新しい情報が飛び込んでくる。

まず、僕を雇ってくれたのはセバスチャンとそのフィアンセのカロル。

2人はどちらもその町で英語教師をしていて、セバスチャンは私立学校、カロルの方は公立学校の勤務であった。

カロルの英語はかなり熟達されていて基本的な英語のコミュニケーションに支障はなかった。

ただセバスチャンの方は彼女ほどのレベルには達していなく、あまり話すタイプの人柄でもなかったので彼から説明を受けて理解できることは少なかった。

僕の仕事は、主に彼らのサポートと、セバスチャンが週の半分、他の町へ用事があり仕事に出れないので彼の授業をカバーするとのこと。

そしてピタルと言う町、初日は疲れ果てていてあまり町の様子というのを観察できなかったのだが、いざ外へ出てみて最初に思ったのは、ここはど田舎の中のど田舎だった。

町というよりも村といった方が相応しいだろう。

もちろん公用語はスペイン語で、一応学校のカリキュラムで英語の授業はあるが、町で英語を話せるのはカロルとセバスチャンの2人のみ。

町の人口は300人ほど。

学校は2つしかなく、幼稚園から高校まで全て一環となっている。

この小さな町は一周するのに30分もかからない。

町には小さな広場が2つと、教会が1つ。

観光する場所など全く無い。

鋪装されている道路など1つもなく、そもそも歩道などない。

皆砂漠のように砂埃の立つ茶色な車道を歩き、車もバイクもそこを通るので、日中は砂埃がすごい。

そしてグーグルマップで見るとスーパーマーケットと表示されるところがあるのだが、そこは一応日用雑貨と食材を売っている小さなコンビニみたいなところで、入り口やドアなどはない。

ほぼ屋台に近い。

冷蔵庫などは無く、肉も全てぶつ切りの生のものが棚に入っていて、それを量り売りで買う。

薄切り肉などは存在しない。

魚も肉と同じ棚に放り込まれている。

次の日には絶対に腐ってしまうので、生ものは全てその日に食す分しか皆買わない。

卵も、僕は生まれて初めて常温で保管できるのだということを知る。

皆手渡しで必要な物のみを買うと言った感じ。

僕は一応平成生まれなのだが、きっと昭和の初期の日本はこんな感じだったのだろうとタイムスリップした気分だった。

 

学校の授業と葛藤

僕が受け持つことになった学年は7歳から16歳、12クラスほどを担当した。

今まで幼児教育を専攻してきたので5歳以下の英語教育には自身があったのだが、高学年レベルを教えるということは期待していなかったのでそこは驚きだった。

ただそれよりも驚きだったのは、町の住人含め、生徒たちの英語力の低さ。

ここに来る前に色々と授業の教材を準備をしてきたのだが、いざ初日に教団に立って簡単な自己紹介をすると、僕の話していることが全く理解されていない。

初日に出た結論は、彼らの7歳でも17歳でも英語力に差は殆ど無く、「My name is ***.」「I like baseball.」など3単語をくっつけるのが精一杯で、それ以上を話すことも聞いて理解することもできなかったのだ。

この予想外の彼らの英語力には頭を悩ませた。

まず僕の準備してきた授業プランは全て使えず、本当はもっとレベルの高い英語について教えたかったのだが、どこのクラスに行っても毎回教えることは小学校2年生レベルのことの繰り返し。

そして何より大変だったのは、スペイン語なしでは誰とも英語でコミュニケーションが取れなかったことだ。

生徒も、学校の先生すら誰も英語を話せる人がおらず、コロンビア2日目から僕の1番の葛藤は、一刻も早いスペイン語の習得だった。

セバスチャンとカロルの希望は、外国人である僕には生徒のために基本的には全て英語で授業をしてほしいとのことだったのだが、英語で全て進行しているとどのクラスでも生徒たちの集中力は3分で切れる。

その後一時間もある授業をどうにかこうにかやり抜くにはスペイン語で授業を説明する他なかったのだ。

 

コロンビアでの生活

僕のコロンビアで英語講師を努めた4ヶ月の日々はほとんど同じルーティンだった。

毎日7時に起きて朝食、8時15分に1限が始まり、12時になると2時までランチ休み。

ランチは毎日同じ近所の小さな食堂でセバスチャンとカロルと一緒に食べた。

その後少し休憩しつつ午後の授業の準備をして2時に学校に戻り、5時半まで授業。

学校の後は家に帰りセバスチャンとカロルと夕食を取り、10時の就寝までひたすらスペイン語を自分の部屋で勉強するという毎日だった。

週末は昼まで寝て、その後少し授業の準備をしながらひたすらNetflixを見て過ごした。

現地のコロンビア人の生活はというと、夕食の後は家族団らんでテレビを見てゆっくりするのが日常。

土日の休みの日は、町にショッピングセンターも映画館も、娯楽を楽しめるところなど一切ないので、皆やはり家族団らんでテレビの前か、近所の友だちの家に遊びに行くというのが普通。

 

低学年のクラス

僕が最も苦労して頭を抱えた学年は低学年の7歳と8歳のクラスだ。

彼らは黙っていれば可愛い。

ただ、僕がスペイン語を話せないと理解してから僕の授業は彼らにとって暇つぶしの時間と変わった。

殆どの授業を僕一人で進行しなくてはならなかったので、彼らは好き放題いたずらをし、まず1人が席を離れるとそれにつられてクラスの大半が立ち上がって歩き回る始末。

僕が毎回授業を始めようとすると「つまんないから外で遊ばせてよ!」と抗議が始まる。

僕は人前であまり怒るという行為をしたことがないのだが、彼らは何度、僕の堪忍袋の緒を切れさせただろうか。

僕の小学校の先生が毎日のように、鬼になって怒鳴り散らしていた気分が教団に立って初めて実感できた。

もちろん僕は、そんな鬼のように怒鳴り散らしてはいないが。

ため息の数の方が怒りよりも多かったのは確かだ。

ただ皆可愛い生徒たちなので、最終日に学校全体が僕にさよならパーティーを開いてくれたときには、この「ポーズしてよ!」とネダラれ仕方なく同じポーズで写真を取ることに。

彼らは「先生がいなくなって寂しいよ!」的なことを言ってくるのだが、内心は僕の授業が楽だったからもっといてほしかったと思っているに間違いない。

可愛い生徒たちではあるが、後半年このクラスを教えることになっていたらきっと僕の魂は燃え尽きていただろう。

中学年のクラス

クラスに必ず1人は問題児というのはいるもの。

僕は学生の頃問題児タイプではなかったのだが、クラスでいつも先生を困らせる厄介なやつがいたのをよく覚えている。

それは地球の反対にあるコロンビアでも同じだ。

8歳ぐらいまでは、いたずらをしても悪気があってしているのではなく、興味本心でしているのが分かるのでまだ可愛いと思うのだが、10歳を超えたあたりのいたずらというのは可愛くない。

彼らは本気で悪知恵を駆使してくるのだ。

例えば、11歳のクラスの問題児の男の子。

先生たちから「彼は問題児だから気を付けて。」と初日からアドバイスをもらい身構えて彼のクラスに行くと、なんと可愛らしいやつではないか。

僕の子分のようにくっついて来て、色々と手伝いをしてくれる。

最初の2週間はそんな感じでとても良い雰囲気で授業が進められたのだが、彼は徐々に授業中の余計な発言が増えてきて、次第に授業を乗っ取ってくるように。

1度彼がクラスの内側から鍵を掛けて、しばらくクラスに入れなかったこともある。

何度も彼と2人で会話をするのだが、彼の威勢が一向に止まる様子はない。

次第にはわざとクラスに遅れてきて教室内でサッカーをしだしたり、真面目に勉強している生徒のノートを取り上げて放り投げたりと邪魔をし始める。

僕を試しているのは十分に承知していたのだが、さすがに僕の幼稚園レベルのスペイン語では手に負えなくなりセバスチャンと校長先生に相談したところ、彼は後に両親にこっぴどく叱られたらい。

ある日僕がクラスに行くなり子犬のように謝ってきた。

そこから彼が静かだった日々が2日と続かなかったのは言うまでもないが。

高学年のクラス

コロンビアでは義務教育が16歳で終わる。

そこから大学に行くか、働くか。

ただコロンビアの田舎では大学に行く生徒などほとんどいなく、16歳から働き始める人がほとんどだ。

それに加え、16歳で結婚して子供ができる人も珍しくないし、退学率も高い。

骨格の作りなどもあるのだろうか、社会に出て生きていくコロンビア人の歳が若いので、16歳のクラスに行くと皆顔つきが大人だ。

授業をつまらないと思っている生徒でも、16歳になると騒ぐよりも静かにしている方が授業が早く終わると分かっているので、授業の進行は1番楽だった。

僕が個人的に1番面白かったのは、彼らのこれからの人生プランを英語でプレゼンしたことだ。

彼らの中の数人は大学に行きたいと言うし、他の生徒は自分のガールフレンドと早く結婚したい、親の仕事を引き継いで楽をさせてあげたいなど、ちゃんと自分の意見を持っていると知れて感心した。

 

コロンビアで4ヶ月の英語講師を終えて辛かったこと

はっきり言って、僕のコロンビアでの4ヶ月間は決して楽なものではなかった。

1番はやはり言語の壁。

日本人であればいくら英語を話せないと言っても、一応義務教育で第二言語として教育を受けてきているので英語環境に身を置いてもゼロからのスタートではない。

ただ今まで一度もスペイン語に触れたこともない僕は完全にゼロからのスタートとなった。

金をかけずにスペイン語を学びたい一心でコロンビアの地方に身を置くこととなったのだが、さすがに英語を話せる人が自分の雇い主以外全くいないというのは堪えた。

授業に関して他の先生に相談したいことがあっても彼らの言っていることはわからないし、生徒の言っていることも理解できない、道端やランチのときの些細な会話も初めの頃はできなかった。

見た目は大人だが言語力は幼児並みというのは、周りからの信頼を得る上でも幾度となく障害になった。

ただ村の人は皆良い人だったので、自分がもっとスペイン語が話せたらもっと充溢した4ヶ月になったということは間違いない。

 

コロンビアで得たこと

毎晩自分の部屋に引きこもって必死にスペイン語を勉強したおかげで、4ヶ月後には人の言っていることが半分以上分かるようにまでなり、自分の思っていることも少しは伝えられるようになった。

周りの先生からも「最初お前が町に来たときのスペイン語はひどいものだったが、とても上達したな。」と褒められた。

その褒められている内容がスペイン語でも理解できたのが個人的にはとても嬉しく達成感があった。

クラスでは1人で授業を遂行していくことが困難で悩むことも多々あったが、休み時間の生徒との会話やバスケットボール、子どもたちと鬼ごっこをする一時は楽しかった。

自分は外国人のボランティア講師という立場だったし、僕自身歳をとっても常に少年心は大事にしているので生徒たちからはかなり好かれた。

最後の方は生徒たちに遊びに誘われ放課後高校生に戻ったかのように他愛もない話をしながら学生たちと笑っていたのは、僕のかけがいのないコロンビアでの思い出だ。

今だから言えることなのだが、僕の小学生時代ピンポンダッシュが流行って問題になった。

そのピンポンダッシュがコロンビアの田舎ではまだ1つのいたずらとして流行っていて、生徒たちと放課後の帰宅途中、彼らの1人が近隣の家のドアをドンドン叩いて皆一斉に走り出した。

インターホンなんてものは存在しないので豪快にドアを拳で叩くのがコロンビア式。

僕もその場で一緒になって全速力で逃げ出したのは今では良い笑い話だ。

 

次回

コロンビアでスペイン語のスキルアップをした僕が次に向かった場所はペルー。

ペルー冒険記にて続く。

【ペルー冒険記】代表 Kaitoの旅物語

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