【自然豊かなボルネオ島】
大学2年生が終わろうする頃、私はまた海外のどこかの国に行きたいと思うようになりました。
フィリピンでは、英語のマンツーマンレッスン、ホームステイ、ボランティアを体験したので、今度は旅の要素が多い渡航が理想。
とは言うものの、前回同様、何かのプログラムに参加した方が、様々な人と出会える機会が多いのではと考えながら、また何となくインターネットで情報収集を始めました。
やはり、欧米諸国は航空券だけでもかなりの費用がかかるので、貧乏な私には手が出ません。
そこで見つけたのが、マレーシアのボルネオ島で行われるワークキャンプでした。
ワークキャンプって何だろうと思いながら、そのワークキャンプの詳細を調べてみると、児童養護施設の建設作業に参加するというものでした。
ちょうど大学で土木を学んでいた私は、学科の大半の学生が就職する建設会社や設計の仕事をしたいと思っていたわけでもなく、成り行きでその学科に入ることになったので目標もなく、ただただ良い成績を取るためだけに学ぶだけの退屈な日々を過ごしていました。
そんな土木分野でしたが、実際どのように生かせるのかワークキャンプを通して体験してみたいという気持ちになり、期末テストが終わり春休みになると、前半はアルバイトに明け暮れ資金集めに精を出しました。
そして、後半の1ヶ月はマレーシアに行くためにお休みをもらいました。
今思えば、融通を聞かせてくれるバイト先の店長と他のアルバイト学生の方に感謝でいっぱいです。
さて、ワークキャンプはというと、期間は2週間でホームステイも数日あるようです。
ただ、せっかく海外に行くのであれば、マレーシアだけではもったいないという思いが出てきました。
日本の場合、社会人になってから欧米諸国のようなバカンスで旅に出るといことはなかなか難しいでしょうし、学生の長期休みはとても貴重な時間です。
そこで、マレーシアのボルネオ島で前泊して、少し観光してからワークキャンプに参加し、その後も大陸側のマレーシアに渡ってバックパックで旅をしようと考えました。
大学生協で航空券の購入について相談してみると私の予算内で、日本⇨ボルネオ島(マレーシア)⇨クアラルンプール(マレーシア)→日本のルートでなるべく安いものを探してくれたので、即決でその航空券を購入しました。
日本を飛び立つこと約12時間、タイのバンコクで飛行機を乗り継ぎ、ようやくマレーシアのボルネオ島に着いた時刻は午後8時を周り、空港を出ると外は真っ暗で、フィリピン同様東南アジア特有の蒸し暑さが伝わってきます。
予約したゲストハウスまではかなり距離があったのですが、偶然、飛行機の隣の席になった日本人の社会人男性と仲良くなり一緒にタクシーを借りてゲストハウスまで移動することにしました。
ゲストハウスに着くと、ロビーにいたマレーシア人と思しき巨漢の男性が突然話かけてきました。
巨漢に似合わず優しそうな顔をしたその男性は、マレーシアの他の島から旅行で来た学校の先生でした。
友達がいるから一緒にご飯を食べに行こうと誘ってくれたので近くの夜市に行くことに。
日本から来た私に興味を持ってくれたのか、家族や旅の目的など色々な話をしながら食事を楽しみ、またその男性の友達はとにかく陽気で事あるごとにジョーダンを言っては私たちを笑わしてくれました。
このような何気ない素敵な出会いが一人旅の醍醐味かもしれません。
次の日の朝、朝6時前に起きて出発の準備を始めました。
多くのワークキャンプ参加者が、ワークキャンプ開始に合わせてマレーシアに向かう中、私は2日前にボルネオ島に着いたので、何をしようかと出発前に考えていました。
ボルネオ島について詳しく調べてみると豊かな自然が観光の目玉であり、自然を満喫できるツアーがいくつかありました。
その中でも、東南アジア最高峰の標高4,100mのキナバル山にあるキナバル自然公園のツアーに興味をそそられ、日本を発つ直前に申し込みをしていたのです。
一人でツアーってちょっとさびしいかなと思いつつも、ツアーが始まると日本語が流暢な現地ガイドさんの陽気なガイドにすっかり寂しさも忘れ楽しい気持ちになっていました。
バンに乗ってキナバル山を登ること2時間ほど経つとキナバル自然公園に着きました。
そこで目にしたのは、天然記念物でもある世界一大きな花、『ラフレシア』でした。
ラフレシアが花を咲かせるのはおよそ3~5日間と言われており奇跡の花とも呼ばれています。
そのラフレシアに偶然出会えた私はとても幸運でした。
その他にも、図鑑でしか見た事が無いような食虫植物やミッキーのような花の形をした花など多種多様な植物に出会える貴重な体験をしました。
また、このキナバル山には他にも私がどうしても行きたかったが行けなかったツアーがあります。
それは、野生のテングザルに会えるというツアーでした。
テングザルはボルネオ島の固有種で今では絶滅危惧種に指定されているほど珍しい動物です。
もしもう一度、ボルネオ島に行く機会があればぜひとも参加してみたいと思います。
【新たな出会いとワークキャンプ】
マレーシアに来て2日経ち、私は自然豊かで人の温かいボルネオ島の魅力にすっかり虜になっていました。
ワークキャンプに参加するために指定の場所に着くと既に大学生が20人近く集まっており、男女比はおよそ半々。
中でも関東の大学に在籍する人が8~9割で、友達同士で参加している人も多く、また関東では事前に参加者同士で顔合わせやTシャツ作りなどの事前準備をしていたため、すでに和気藹々とした雰囲気でした。
メンバーのほとんどが初めて海外に来ていたので、バクパックを背負って、前泊でマレーシアに到着し、既に現地に馴染んでいた私は完全アウェー状態でした。
面白いことにメンバーは驚くほど個性豊かで、ワークキャンプというと少し泥臭い作業をするイメージの中、マレーシアに似つかわしくイケイケ風な人、自信のなさそうな人、スタイル抜群な人に、男女関係なくフレンドリーな人、本当に様々な人が集まっていました。
田舎出身だからこそなのか、私から見ると普段会っている大学のクラスメイトに比べて、何となくキラキラしている気がします。
さて、顔合わせも終わりバスに乗り込むと1~2時間ほどでワークキャンプを行う児童養護施設建設予定地に着きました。
緑に囲まれた自然豊かな場所に、突如現れた門を抜けると、まず、私たちの生活の場となるバンブーハウスに案内されました。
フィリピンの高床式の建築とはまた違った作りでしたが、参加者20人近くとスタッフが寝泊りできるとあってかなり立派な建物です。
男女別々に寝床となる2階の大部屋に案内され、蚊帳の中にそれぞれマットが敷いてあるだけのシンプルな場所にそれぞれ荷物を置きます。
そして、作業ができる格好に着替えて、軍手と長靴を身につけて作業場所へと向かいます。
具体的にどんな作業をするのか、児童養護施設はどこまで建設されているのか、私は何も知りませんでしたが、バンブーハウスから数十メートル斜面を登るとそこには児童養護施設のものと思われるコンクリートの基礎のみが出来上がっていて、数人の現地の人と思われる作業員が汗を流していました。
そんな中、私たちに与えられて仕事は、2つありました。
1つ目は、児童養護施設の真横に斜面があり山肌が露わになっているため、雨で斜面が崩れないように、坂の下に樹勢している植物を斜面に植え替えるというものでした。
正直もっと建設的なことがしたかったなと思いつつも、今思うと建設作業は常に重量物や切断用具など常に危険ととなり合わせなので仕方ありませんでした。
いくつかのグループに分かれ、坂の下でスコップを使って根っこごと植物を取り出し運搬用の三輪車に載せる人、その三輪車を坂の上にある児童養護施設の横の斜面まで運ぶ人、斜面で竹を釘のように使って植物を植植える人に分かれて作業しました。
どれほど効果があるかはよくわかりませんでしたが、その植物は、根がしっかりとしており、元々樹勢していたものなので余計なコストがかからず正に一石二鳥だと思いました。
そして、この作業が思っていたよりも、かなりの重労働で、日本では春の季節だというのに、ここマレーシアは真夏の日差しが照り付け更に体力を奪います。
しかし、朝から夕方までに数日間、同年代の学生たちと汗を流しながら力を合わせることで予定通り作業は進みましたし、日に日にメンバー内でび連帯感が生まれていきました。
もう一つの作業は、児童養護施設の少し先にコンクリートで道を作るというものでした。
これは、私が本当にやりたかったことだったので、やると分かった時はとてもワクワクしました。
左官屋さんのようにコテを使ってコンクリートを慣らしていく作業は、これも中腰で大変ではありましたが、徐々に道が出来上がっていく様は感動ものです。
コンクリートの配合はかなりざっくり水の量も測らず感覚でやっていました。
当時の私は土木分野を専攻していましたが、全く知識がなく、本来ならコンクリートの配合や品質管理、発現強度考えながらやるんだろうなと思っていました。
私を含め、将来の目標ややりたいことが分からないまま大学で学んでいる学生は多いと思いますが、強度の強いコンクリートを作る方法を知りたいといった明確な目標や目的があって学べばもっと楽しく学べますし、知識欲もどんどん出てくる気がしました。
【ボルネオ島の暮らしと食体験】
朝から夕方までしっかり働いた後は、マンディーと呼ばれる入浴タイムです。
湖のようなところで体を洗い流します。
当然、環境に配慮して無添加の自然に優しい洗剤を使っていました。
服も自分で手洗いをするのですが、服を絞り過ぎると生地が伸びるし、かといって絞らなすぎるとポタポタと水が垂れて乾きにくくて大変です。
こういう時に重宝するのが、生地も伸びにくく、すぐに乾くスポーツ用のメッシュ生地のTシャツ。
この体験を通して、日本で当たり前のように使っている洗濯機のありがたみをひしひしと感じました。
学生の一人暮らしでも、洗濯機、掃除機、冷蔵庫、エアコン、電子レンジをみんな当たり前のように持っていて使っていることがどんなに恵まれていることか気づかされます。
当時、児童養護施設はまだ建設途中だったのですが、既に小学生くらいの男の子が2人住んでいました。
2人の生い立ちなどはよくわかりませんでしたが、いつも晩ご飯を一緒に食べていました。
食事は、現地人スタッフが作る家庭料理でいつも食卓には辛味調味料があり、現地スタッフを真似て、その辛味調味料を料理に入れると火を吹くような辛さです。
また、パパイヤなどのフレッシュで甘くて美味しい南国フルーツが毎食のように食卓に並んでいたのも印象的でした。
食に関して言えば、このワークキャンプを通して私の人生でも最も貴重な体験の一つをここでしました。
それは、夕食にみんなで食べる鶏を絞めるというものです。
何も聞かされずに急にやりたい人はいるかと聞かれ、躊躇なく手を挙げて立候補しました。
理由は、日本ではごく普通に綺麗に部位ごとに分けられパック詰めされたお肉を購入するのが一般的で、鶏・豚・牛・魚・卵など日々貴重な命を頂いて生きていますが、食べ物に溢れている現代では、分かってはいても中々そのありがたみを実感することがなかったからです。
鶏はまず暴れないように、二本の足が括り付けられた状態からはじまります。
スタッフにやり方を教わりながらまずは、喉元の毛を抜いていきます。
そして、ナイフを渡され、毛を抜いた喉元にグッと力を入れて刃を入れると、血がポタポタと垂れ鶏は苦しそうに羽をバタバタとさせていました。
OKと言われ、スタッフが鶏の頭を下にしてバケツに入れ逆さの状態で血抜きを行います。
喉を切られた鶏は、すぐに息耐えると思っていましたが、そこからどれくらい時間が経ったか他の数人が私と同じように鶏をの処理をした後も、随分と長い間私が処理をした鶏はバタツキ続けました。
その夜は、当然私たちが処理をした鶏が食卓に並びます。
日本でも、マレーシアに来ても頻繁に食べていた鶏肉ですが、ここまで食べるのに抵抗があったのはこの時が初めてでした。
私は小さい頃から、戦時中の貧しい中を生き抜いた母方の祖父と母から食べ物を粗末にするなとよく言い聞かされ、食べ物はほとんど残すことがありませんでしたが、この時本当の意味で命をいただくことのありがたみを実感しました。
色々な体験をしましたが、何はともあれ一番良かったのは、良い人たちとの出会いです。
仲良くなったメンバーとは、ワークキャンプが終わった後も何度か集まって食事をしましたし、私は仲良くなった女の子と付き合うことになりました。
また、キャンパーとして参加していたマレーシア人のクリスとは、この後の一人旅でも少しマレーシアの首都クアラルンプール一緒に観光したりと本当に良い人たちと巡り会いました。
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Yuta (World Map Japan代表、編集担当、ライター)
担当の国:フィリピン、台湾、インドネシア、ヨーロッパ
海外歴:8年
今までに訪れた国:30カ国
趣味:読書、旅行、料理、日本酒
ひとこと:このサイトを通して、世界をもっと身近に感じて楽しんでいただければ幸いです。宜しくお願いします。